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恵 建築デザイン事務所

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2009年4月

2009年4月26日 (日)

古材と古色塗り(セルフビルド)

先日、古色を作りましたが、少し赤すぎたので、墨をもう少し足して作り直しました。

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右端の古材の小口に塗りましたが、今度はいい感じです。

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大工さんの作業場では、古材の刻みもほぼ、終わっています。

古材はすべて、栗でした。

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削ったところが白く見えるので、そこに色をつけます。

古材全体は、囲炉裏にいぶされて、いいツヤが出ているので、そのままを生かすことにしました。

色を塗るのは奥様の仕事です。

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この材は、古材ですが削ったので白木になりました。

古家では、梁に使われていたのですが、今回はリビングの出隅の角柱になります。

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白木ではおかしいので、色をつけることにしました。

奥様が色をつけ、ご主人が布でふき取っていきます。

色をつけると、栗の美しい木目が浮き出てきました。

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乾いてから、もう一度塗り、ふき取りました。

色をつけた直後は塗れているので濃く見えますが、乾くと思ったより薄い色です。

最低2回は重ね塗りしたほうが、ムラ無くきれいに仕上がります。

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この材は、皮がきれいに取れてなかったために、キクイムシが入って、表面がボロボロで粉が吹いた状態でした。

そこを、大工(棟梁)さんにちょうな掛けをしてもらっています。

ちょうな掛けは、昔は木挽きの仕事でした。

今、この作業ができる大工さんは、60代以上の方でしょうか?

誰でもできるわけではありません。

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ちょうな掛けのおかげで、きれいな下地が出てきました。

これで、やっと色がつけられます。

この家も 施主さん、大工(棟梁)さん、設計事務所(私)の3人4脚で、素敵な家になりそうです。

2009年4月24日 (金)

伯州山 花とグルメの山歩き

先日、私の所属する山の会恒例の山菜天ぷらハイクへ行ってきました。

この日の参加は21名。男女の比は半々です。

その山は岡山県鏡野町(旧上斎原村)と鳥取県三朝町の県境近くにある伯州山。

私は初めての山でしたが、この時期に行くと、イワウチワが満開という言葉につられて参加しました。。

昔からある登山道ではなく、最近作られた新道から、登ります。

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この写真がイワウチワですが、花の大きさは直径4~5㎝。

ピンクのかわいい花です。

この山道(新道)の周りにたくさん咲いていて、踏まないように歩くのが難しいぐらいでした。

前に那岐山の鳥取県側のコースを登ったときにも イワウチワが多かったですが、そこと同じぐらいありました。

いや、それ以上かもしれません。

これ以外にも、キクザキイチゲや、イワナシなどかわいい山野草が、いっぱい。

周りの木々には コブシかと思ったら タムシバの白い花がまだ、芽吹いていない雑木林にたくさん、咲いていました。

山頂は360度の大パノラマ。大山も見えました。

標高は 1,044.9m。いい山です。

山頂直下にはログハウスの素敵な山小屋があり、今日は、男の料理ということで、料理は男性陣にお任せし、女性はオカリナ演奏を楽しんだり、外でのんびり待っていました。

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山菜は、前日までに用意されていた、タラノメ、コシアブラ、フキノトウなど。

サツマイモと海老も用意されていました。

抹茶塩でいただきましたが、アツアツの天ぷらを山で食べられる贅沢を味わいました。

その他にも、わらびのおひたしや、葉わさびの佃煮など、おいしいもの目白押し。

最後にはおいしいレギュラーコーヒーも淹れてもらって、大満足。

3杯も飲んじゃいました。

下山途中では珍しい、薄いブルーのキクザキイチゲも見ることができました。

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登山道のわきには残雪もあり、メンバーが練乳を持参されていて、天然のミルクかき氷を手のひらのお椀の雪にかけて いただきました。

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シャリシャリしていて、超美味しかったです。

楽しいグルメ山行。

山は登り1時間程度なので軽いです。

いい季節です。

皆様も 春山へハイキングされてはいかが?

2009年4月20日 (月)

風景をつくる仕事

先週の土曜日、JR津山線で岡山へ行きました。

津山線はローカル線で、岡山市と県北津山市を約1時間~1時間半で結びます。

ディーゼル列車の単線で上下とも1時間に一本程度しか列車が走っていません。

そのため、途中の駅ですれ違いのために 3~8分も停車します。

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この日は快晴。汗ばむほどの陽気でした。

普段なら本を読むのですが、この日はあんまり景色がきれいなので窓の外ばかり見ていました。

車窓の風景は、輝くばかりの新緑。

山桜、レンゲ、たんぽぽ、チューリップ、菜の花、レンギョウ、八重桜。

庭にも野山にも、あふれるばかりの花や新緑。

日本の田舎の春は、本当に美しいです。

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山は、自然の雑木林。(植林もあるけれど)

でも、家々や町並みの風景は、建築士や大工さん、その他建設業にかかわる私たちが作っています。

昔ながらの日本建築。オレンジ瓦の洋風住宅。

サイディングの総2階の家や、鉄骨造の倉庫や車庫。

古い家。新しい家。おしゃれな家。モダンな家。かわいい家。

日本の町や村は、どのような家でも自由自在。(制限のある地域もありますが)

景観にあまり配慮をしないで、「いい」と思ったら、他国の文化でもすぐ取り入れてしまうのが日本人の特徴かもしれません。

でも、一度新築したら、同じ家で何十年も暮らします。

若いときは、「かわいい」とかイメージで外観を決めがちですが、自分が50~60代になったときにどう思うか、ちょっと想像してみませんか?

オレンジやピンクや水色の外壁の家は、どうなんでしょうか?

帰るのが、恥ずかしくならないでしょうか?

そのときは塗り替えますか?

喫茶店じゃないんだから。(今は カフェのような家、っていうのを望む人もいるかもしれませんが)

自分が気に入ったら、他人がどう思おうが平気、という家ではなく、

景観に配慮し、周囲の雰囲気に合う、ということも大事です。

私たち建築士は町や村の風景をつくる仕事です。

100年後の人たちが見ても 恥ずかしくない日本の風景をつくりたいと思います。

・・・・こんなことを考えるようになったのも、自分が年をとった証拠かもしれません・・・  

2009年4月17日 (金)

古材と古色

この春、着工の新築現場に古材の梁を使うので、古色を塗って色をそろえることにしました。

何も塗らなくても、囲炉裏にいぶされて、いい感じの色になっていますが、このままでは 少しムラがあったり、削ったところが白く見えたりします。

古色は、柿渋、ベンガラ(赤)、スス(私は墨汁を使いました)、に水を混ぜて使います。

外部に使う場合は、菜種油を混ぜるといいそうですが、内部なので、油は混ぜません。

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<用意するもの>

柿渋(トミヤマ製)

赤ベンガラ(岡山県成羽町で購入~左官材料店にあります。ホームセンターにもあるかも。)

墨汁(家にあったもの)

刷毛、ボウル(百円ショップ)

塗りたい木片(今回は、古材の梁の切れ端~材質は栗)

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べんがらをトレイに小さじ一杯ほど出してみます。

ボールに、柿渋と水を 1:1 程度に入れて、その中にベンガラを入れます。

墨汁を適当に混ぜて、色を見て、木片に塗ります。

柿渋は熟柿の腐ったようなにおいがして、ちょっと臭いですが、まあ、自然なにおいなので、私は嫌いじゃありません。

ちょっと 窓を開けておく程度で大丈夫。

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塗る前です。(左右とも)

下準備として、硬く絞った雑巾(タオル)で拭いておき、乾かしておきます。

これだけでも、雑巾が真っ黒になりました。(ススかな?)

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1回目です。ちょっと、赤過ぎるかな?と 思い、墨汁を足しました。

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小口にも塗ってみました。

右の角材は桧です。(新品)

角材にも2回塗ってみました。(これは、同じ色を重ねました)

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ちょっと、夕方になったので、戸を開けて写真を撮りました。

3回目を塗りましたが、左側の材の半分から下部分に塗っています。

塗ったところは、つやが出ているように思います。

右側の古材は無塗装です。

さあ、どうでしょうか?

これ(現物)を、施主さんに見てもらって、決めます。

塗るのは、取付前(建て方前)に、大工さんの作業場で、施主さんに塗ってもらう予定です。

2009年4月11日 (土)

奥津のコブシと津山の夕桜

今日は、倉敷から友達がやって来ました。

鶴山公園の花見が主目的ですが、鶴山は夕方で良いので、先に奥津温泉へ行きました。

奥津温泉近辺では、今、「コブシ祭り」というのをやってて、本当に山にコブシが多いのです。

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山桜のピンクもあり、本当にキレイでした。

奥津では、久々に「花美人の里」の温泉に入りましたが、少し開けた窓から、満開の桜が見えて、湯船に浸かりながら花見、という贅沢な気分を味わいました。

津山に戻って、頼んでいたお花見弁当を受け取り、6時過ぎから鶴山公園へ。

私の一番のお勧めは、夕暮れの鶴山です。

空がだんだん、水色から深い青に変わっていきます。

ぼんぼりに灯がともり、上から見下ろすことのできる鶴山の桜は、幻想的で、この桜の素晴らしさは、一度は見て欲しいと思います。

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下の方は、散り始めの状態でしたが、本当の満開のときに来ると、桜の海に浮かんでいるようです。

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天守閣跡のある上の方の段や、北に面した桜は今満開でした。

城跡に高低差があるので、少しずつ満開の時期がずれている気がします。

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きれいな夕焼けを見て、桜の海を堪能した後、おいしいお弁当をいただきました。

桜も満開を過ぎて、少し葉も出ていましたが、最後の花見が楽しめました。

でも、大事な花粉眼鏡(度のないレンズの)を 無くしてしまい、ガックリ。

相変わらず、マヌケな私でした・・・・

2009年4月 5日 (日)

大工さんの手刻みと本当の「家づくり」

先月、大工さんの作業場に行ったときに、手刻み加工を見せていただきました。

中央が土台(120×120)の腰掛け鎌継ぎの仕口です。

蟻継ぎの仕口も見えていますね。

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これは、梁の金輪継ぎです。

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金輪継ぎは、組んでしまうと、外部には縦の線が1本見えるだけですが、

内部はこのように、複雑です。

でも、これで、この木は一体となって、頑丈な1本になります。

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これは、先日行った祖谷の古民家再生現場の柱ですが、金輪継ぎとして、柱の傷んだところを交換し、1本にしています。

現在の在来工法は プレカット+金物補強 の工法が主流です。

でも、このように、大工さんの手刻みでないとできないこともあります。

いい腕を持った大工さんはどんどん高齢化して亡くなるとともに、その人が持っていた伝統技術もいっしょに消えてしまいます。

私の父も、そういう棟梁のひとりですが、もう70代の半ばを過ぎ、大きな仕事はできなくなりました。(でも、まだ、ちょっとぐらいやってるから すごい。)

先日、新聞で見たのですが、男の子の将来の職業の希望を聞くと、大工や左官などの「職人」という答えが2位でした。

でも、実際の木造現場では、構造本体はプレカット加工品の「組み立て」が主で、建具枠、階段なども「組み立て」、後は、ボード類を電動工具で打ちつけ、クロスを貼って終わりです。

伝統技術を生かす場も無くなってきたし、また、できる職人も減ってきています。

そして、安く抑えられるから、手の込んだ仕事をするのは採算が合わない。

左官さんが仕事ができる家も限られてきました。

今の住宅産業で左官工事が必要な場所は玄関の土間ぐらいでしょうか?

安売りを主とするハウスメーカーやフランチャイズ。

工業製品で固められた住宅。

実際にはあまり安くない大手ハウスメーカーも、職人の技術にお金を払おうとしていません。

また、職人の技術が必要な家も作っていません。

お金のかかる部分は 調査・研究費、技術開発費、広告・宣伝費、営業経費、モデルハウス維持費などでしょう。

施主さんが3000万円払っても 実際に家を作る金額は、半分程度だとどこかで聞きました。

何か、間違っていませんか?

すべての人が、予算がたくさんあるわけではありませんが、私は職人さんにはちゃんと技術料を払いたい。

私はいつも、本物の仕事のできる大工さんや、左官さんを尊敬しています。

私たち設計者は紙の上、またはパソコン上に設計図を描きますが、それを実際に作ることができるなんて。

予算を削るのは他のところ(工業製品や、営業経費など)で したいです。

そうしないと、本当の家はできなくなってしまいます。

商売優先の住宅産業。

今、本物の技術を持った職人は50代以上が主流です。

100年後。

昔ながらの手刻みのできる大工さんや、土壁を作れる左官さんはいなくなってしまうんじゃないか、と危惧しています。

本物の家を作るのは、施主さんの強い意思とそれができる施工者や、いっしょに考えてくれる設計者を探すことです。

お金の問題だけではないことがあります。

私は、そういう、家作りのお手伝いをしていきたいと考えています。

2009年4月 4日 (土)

木の寿命から見る家づくり

今日は、小雨のパラつく中、地鎮祭へ行ってきました。

地鎮祭は何度出ても、荘厳な気持ちになります。

工事中の安全と、良い家が完成し、その家に住む人のこれからの幸せを祈ります。

私も設計者として、カマで草を刈る儀式をさせていただきました。

この家作りに参加させていただいたことを喜び、せいいっぱい努めさせていただこうと思います。

ところで、地鎮祭の後、大工さんの刻み場(加工場)で、古い梁材の加工を見せていただきました。

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この家は、プレカットではなく、大工さんの手刻みで加工されています。

1番下に見えるのが、古家から解体した梁です。

この家の古材(梁)はすべて、栗でした。

黒く見えるのは、囲炉裏にいぶされてやけていて、磨くとちょうな掛けのため少しえぐれた感じで美しい木目とツヤが出たそうです。

白いところは削ったところで、束が入ります。

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これは、栗の梁の古材の年輪です。

施主さんが、年輪を数えてみたら 伐採する50~60年前(江戸時代?)いつかわからないけど、すごく年輪の細かい年代があったそうです。

温暖化の進む今と違って、すごく寒い年代だったようです。

年輪は細かいほど、硬くていい材になります。

この古材が使われていた家が築100年以上の古民家ですが、そこに使われた木材がさらに、120年の年月をかけて育ち、伐採されています。

そして、その材がまた新しい家に使われ、今度この新築の家が壊されるのは、100年先かもしれません。

(そういう、家づくりをしているつもりです。)

木は山に育ち、120年+100年+100年(?)=300年以上 生きていくわけです。

人間の寿命をはるかに越えて。

この家の220年前の先祖~祖父母~父母~子供~孫~ひ孫・・・・

木はそんな家族を見守っていくのだな~と思い、感慨深いものがありました。

2009年4月 2日 (木)

祖谷の旅 2

2日目は、まず、「いやしの温泉郷」敷地内にある、小采家(こうねけ)を見学

今は、屋根から雨漏りし、補修中のため、ビニールシートがかかっています。

そのため、内部の棟付近の木部やカヤにカビが発生していました。

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もとは栗枝渡の山腹の急斜面に建っていた小規模な民家で、昭和58年に菅生
(「いやしの温泉郷」のすぐ横)に移築されたそうです。

国指定重要文化財です。

内部は、囲炉裏があり、中央に造り付けの仏壇、左に水屋、右が押入れのようです。

建具はだいたい、舞良戸(縦格子)に なっていました。

家具は置かなくても良いように だいたい造り付けで、昔の民家は合理的です。

次に、宿からさらにバスで30分ほど東にある、奥祖谷の二重かずら橋へ。

あまりにも奥なので、観光化されてる西祖谷のかずら橋よりも、訪れる人も少ないのでしょう。ひっそりと自然の中にたたずんでいます。

周りの景色もいい雰囲気です。

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実は、今回のメンバーの中でも「怖いから渡らない派」と「楽しみ~。絶対渡るよ派」に分かれていました。

私は前者のほうで、高所恐怖症。以前訪れていたときも渡らなかったのですが、

今回、行ってみると 案外しっかりしており、

「これなら 下を見ないで行けば何とかなるかも・・・。」と 思い、渡ることができました。

それから、また、西へ戻って行き、途中東祖谷民族資料館を見学。

そして、観光名所になっている 西祖谷かずら橋へ。

「かずら橋夢舞台」、という名の 巨大駐車場とみやげ物センター。

この、景観を壊した建物には、賛否両論ありますが、とりあえず、ここを通らないとかずら橋に行けない。(この駐車場に停めた場合。しかも駐車料金も必要)

私は、もう、奥祖谷のかずら橋を渡ったので、ここのは、渡る気がなかったので行きませんでしたが、渡った人たちの話によると、奥祖谷よりもずっとスリルがあったそうです。

床の木の間隔も広くて、材も細いとか。

私は渡らなかった仲間と、田楽を食べながらおしゃべりしてました。

さて、祖谷を後にして、大歩危~小歩危を経由、阿波池田に着きましたが

少し時間が早いので、「阿波池田うだつの家・たばこ資料館」を見学しました。

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この家は、幕末から明治にかけて繁栄した、たばこ製造者の居宅だそうです。

そのころの池田町は、たばこ産業に支えられた町だったようです。

後ろには、たばこ工場があり、往時は100人以上の従業員が働いていたそうです。

居宅は、ゲストルームとして、良い材料が使われており、現在は2階は市民ギャラリーとして開放。

奥の工場は、たばこ産業にかかわる歴史資料館として様々なものが展示されています。

女性の方が丁寧に案内・説明してくださいました。

2軒となりには、高校野球で有名だった池田高校の故蔦監督の家がありました。

蔦監督の家もうだつの上がった、立派なお宅でした。

雰囲気のある静かな街を歩き、阿波の地酒や焼酎をお土産に買い、満開の桜を見ながら、徳島を後にしました。

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